ひたすら生態学(とその近隣)の本を推していくブログ

五文字では足りなかった……!情念で押していく所存です。みんな!ここに沼があるよ!

電子の海には、「森」がある。ーCyberforestの取り組みー

大きな大きな、このインターネットの世界の中で、実は今もゆっくりと「森」が育っている。その「森」の名前は“Cyberforest”(サイバーフォレスト)という。


例えば、もしあなたが望みさえすれば、今、ここに居ながらにして、「コルカタの森で降っている雨の音」を聞くことができる。また、イギリスの森の中で、明け方に知らない鳥のさえずる声を聞けるかもしれない。あるいは、運が良ければ、山中湖の森の中のシカが、角で競り合う音を聞くことがあるかもしれない。


http://locusonus.org/soundmap/051/ (世界の音・Live配信)
http://bit.ly/2KhmU3M (日本の森の音・Live配信)


とっておきの「森の音」を切り出したものもある。早朝の鳥の声、モリアオガエルと風の音、虫の声……
https://lnk.to/cyberforest_album001


今の森の状況を、この目で眺めることだってできる。北海道の森の中の、倒木の様子はどうだろう。秩父では、カスミザクラが咲いただろうか。
https://cf4ee.jp/ (Cyberforest ライブモニタリング)


本当は、いつだって、世界各地の「森」は、確かに私たちと共に、この地球上に存在している。それは、今この瞬間も変わらない。


しかし、私たちはその存在を、自分の生活の中で意識することがなかなかできない。特に、都市部に生活する人にとっては、「木」「林」はともかく、生活の中で「森」を体感することは、ほぼない、と言ってもいいのではないだろうか。


Cyberforestは、電子の海を通じ、あなたと、豊かで広大な自然の森をリアルタイムで繋ぐ試みのひとつだ。


Cyberforestによって、世界中に散らばって存在している「森」の音・「森」の映像を、共時的に体感することができる。その時、「地球上のあまねくすべての場所、すべての自然環境は、確かに今、ここに自分と繋がってある。存在している」という感覚を、実感・身体感覚として得ることができる。この感覚を「全球感覚」(a sense of globe)と呼ぶ。


「全球感覚」を体感することで、自分の中の知識が繋がっていき、知識が「心で」理解できるようになる。アメリカの森の中でフクロウが鳴いている。そうか、まだ、夜なんだ。こちらは昼なのに。時差は、こんなにもあるのか。


そして、疑問が出てくる。フクロウがいるのなら、その餌となるネズミなんかもいるはずだ。森はどのぐらい広いのだろう? 他の鳥はいるのだろうか? どんな木が茂り、どんな植物が生えているのだろうか?


さらには、想像するようになる。森の深さ、森全体の生き物、森の周囲の風景……

そして、私たちの想像力は、私たちを「まだ見ぬ先」に繋げてくれる。


「空間の共時性」の先にあるのは、「時間の超越」だ。


Cyberforestでは、自然の森の音・映像をデータ化し、長期的に保管している。
その始まりは1995年、およそ四半世紀もの蓄積がある。

その中には、北海道の森の中で、倒木を中心とした風景をただひたすらに映しているものもある。しかし、何のために?

 
生態学の理論のひとつに、「倒木更新」というものがある。


森の「新陳代謝」はどのように行われるのか、森を構成している古い木と新しい木は、どのようにして入れ替わっているのか、についての理論だ。


森は、たくさんの木の集まりで構成されている。外から見ると、いわゆる「森」の外側・外観を形成しているのが、高い高い木々であることがわかる。


しかし、木も生き物であるため、どんなに高いりっぱな木であったとしても、やがて枯れる。枯れたからには、森が維持できなくなってしまうはずだ。しかし、動かざること……は山だが、森だって、実際には常に小揺るぎもせず、外形を保ったまま、確固として存在している。


ということは、森を構成している木々は入れ替わる、すなわち、古い木々が枯れたら、新しい木々に入れ替わっているはずだ。


その「木々の入れ替わり」に重要な役割をはたすのが、「古い木の倒木」だ。


倒れてしまった古木の上に、木々が種を落とし、それが芽吹く。森林の地表にまかれた種より、倒木の上の種のほうがずっと良い条件で素早く大きく育つことができる。なぜなら、倒木は高さがあるため、種から出た芽は他の下草に邪魔されず、のびのび日光を浴びて大きく育つことができる。また、倒木は若い苗にとって良い栄養ともなり、保水効果も高い。


そのため、倒木をもとにして、新たな木々がすくすくと成長していき、倒れた倒木の穴を埋めることになる。これを「倒木更新」と呼ぶ。

 


しかし、実際には、森のその「新陳代謝」「森の木々が新旧入れ替わっていくところ」は、なかなか観察されにくい。


というのも、あまりにも時間スケールが大きく、雄大なため(何十年、何百年もかかる!)だ。ひとりの人間の人生に比すると、あまりにも長過ぎる。


だったら、どうするか。


その過程を「機械」に観察させればいい。


機械なら、淡々と疲れもせずに映像をモニタリングできるし、その木々の更新の過程を、リアルなデータとして蓄積していくことができる。


そして、それこそ、担当する人が引き継ぎ、継続していけるので、何十年、何百年を超えることができる。

 


最初、お話を伺ったとき、なんというスケール!と、大変感動した。


そして、「木々の更新の過程の観察には、カメラを使えばいい」ということについて、もしかすると思いつくことはできるかもしれない。


しかし、それを実行しようと思い、実際にやり遂げること・やり続けることは、それこそものすごい難事業だ。


ただ、カメラやマイクを設置しているだけ、ただデータを保管しているだけでは続けられない。


森の中は、それこそ「自然環境」であるため、どうしても機材に対するトラブルが起きてしまう。


CyberforestのグループのSNSでは、たまに、使っているカメラなどの「障害情報」がアナウンスされてくる。


「積雪で、マイクが落ちてしまったので、しばらく配信の音が止まります」
「濃霧で結露したため、カメラが見えない時間が少し続きます」等々……


そして、そのたびに、スタッフの方々が深い深い森である現地に行かれたり、現地におられるスタッフの方が下草をかき分けつつ森の中に分け入って、機械の故障を直している。そして、また何事もなかったかのように、音や映像を私達に届け、データを蓄積していっている。


これを、延々、延々、やり続けられている。

 


先程、「25年、四半世紀」と、さらっと書いてしまったが、内情は、このような不断の努力、絶え間ない注意の継続で支えられている。


そこに底流としてある「善いものを伝えよう」「善いものを残しておこう」という強い意志が、大変僭越ながら、本当に素晴らしいなあ、と思っている。

 


また、その貴重な森の観察データの蓄積は「思ってもみない方向で」今後、利用されていくかもしれない。


Cyberforestの測定地点のひとつに、奥秩父の森を、外側からずっと映し続けているものがある。


それこそ、ただ延々、森を外から写し続けているだけ、と見る向きもあるかもしれない。


しかし例えば、私が研究室にお伺いしていた時期に、修士の学生さんが、その画像を使って素敵な研究をしていた。 


なんと「地球温暖化」についての研究だった。


撮影されていた映像には「カスミザクラ」が写っている。そのカスミザクラが、「いつ咲いたのか」を、16年間分解析していた。


仮説としては「地球温暖化により、カスミザクラの開花時期がどんどん早まっているのではないか」というお話だった。


ただ、データ年数が足りなかった部分があるとのお話だったので、今後、よりデータが蓄積されていくことにより、さらなる新たな展開に繋がるかもしれない。


私が知っているのはその使い方だが、今後、もっと他のアイディアで、どんどんその「画像」「映像」「音声」を利用していけるかもしれない。きっとそうだろう。

 


この「Cyberforest」を主催されておられた、斎藤 馨先生は、この3月で東京大学をご退官される。

 


Cyberforest - a sense of globe - | Kaoru Saito | TEDxUTokyo

 


私は、斎藤先生には大変にお世話になり、また本当に良くしていただいたので、ご退官に対しては、とても強い思いがある。


私は、大学院生時代に、斎藤先生の論文を拝見し、電子機器とフィールドワークの融合的な部分や先進性に大変心ひかれた。加えて、なにかとても「自由さ」のようなものを感じて、ぜひお話を伺いたいなと思った。


HPを拝見すると「ゼミ参加自由」(※当時)とのお話だったので、即座にメールを送らせていただいた。斎藤先生は、もう本当に海のものとも山のものともつかない怪しい学生の私を、快くゼミに参加させて下さった。


斎藤研のゼミの、のびのびとした空気は、当時自分の所属している研究室で感じていた閉塞性に、大きな風穴をあけるようなところがあり、毎週楽しみにしていた。


大学院をやめたあと、子育てを始めるまでの間も、ゼミには参加させていただけたのも、本当にありがたかったなあ、と思う。出産前の大きなおなかをゆっさゆっさしながらゼミ室に入り、「面白いなあ面白いなあ」と思いながら、毎週学生さんや先生方の研究のお話を聞けたのは、本当に幸せな時間だった、と今でも大変懐かしく思う。


また、斎藤先生からは、研究における有益なアドバイスはもちろんのこと、素敵な本のご紹介などもいただいた。


斎藤先生から、幸田文の短編「木」中の「えぞ松の更新」を教えていただいて拝読した。きりっとしながらも、少し浮き立つような筆致で、倒木更新の様子が描かれている。(※ちなみに、私に子どもができて「動画ばっかり見てー……」みたいに愚痴っていたら、大変素晴らしい「絵本の手引書」までご紹介くださり……(「絵本が目をさますとき」長谷川摂子))斎藤先生の、広やかさをいただいたなあ、と、今でも大変ありがたく感じている。


だからこそ、本当は本稿タイトルにも、斎藤先生のお名前をばばーんと入れたかったのだけれど、私に……なにかこう……謎の「照れ」があり……。


ただ、Cyberforestは今後も素晴らしい先生方に引き継がれて存続していくので、Cyberforestの紹介としては、このタイトルで良いのかな……?どうだろう……?という気がしている。


電子の海を通じて、森が永遠に保管されていく。


そして、将来の人たちに、確かなデータとして手渡すことができる。


その蓄積によって、今、この瞬間ではまだわからないような、とても素晴らしい発見に繋がっていくかもしれない。


「将来の人たちに託す」「新たな世代に手渡す」という「未来を信じる」ことで、Cyberforestは、おそらくかけがえのない、素晴らしいものになるだろう、と、私は思っているし、信じてもいる。