ひたすら生態学(とその近隣)の本を推していくブログ

五文字では足りなかった……!情念で押していく所存です。みんな!ここに沼があるよ!

個体群生態学者・桐谷圭治先生との思い出

私は、自分のことを「アホだ」と思うことが多い。思い込みが強く、思い込みに固執し、頑固で融通がきかない。方向転換が苦手で、知的な軽やかさを持てない。ただ、私の人生にとって、本当に幸運だと思うのは、そんな私にでも、優しく、厳しく、粘り強く、付き合って下さる先生がいてくださったことだと思う。


桐谷圭治先生は、私にとっては個体群生態学の先生だ。いつの間にかWikipediaで記事ができていて、すごく華やかなお話や経歴なんかがたくさん書いてあって、私なんかでは、とても存じ上げないようなお話などもあって、とてもびっくりした。ただ、なにかこう、それは私にとっては、納得するようなところもあり、そうでないようなところもあった。

 

確かに、桐谷先生は、本当に素晴らしい先生だし、立派な、すごい研究者だったと思う。ただ、そういった「素晴らしい」部分が強く打ち出されて、「畏れ多い」「近づき難い」ような印象になってしまうと、それはそれで、少し違うような気がしてしまう。私などの立場で申し上げるのも何なのだけれど、桐谷先生は私なんかにも本当に「寄り添って下さる」「教育をしようとして下さる」先生であったように思っている。

 

桐谷先生から学ぶべきことはたくさんたくさんあった。桐谷先生のご著書はそれこそ山のようにある。そして、直接的にも、お会いしてお話ししたりして、私は桐谷先生からたくさんのものをいただいた。しかし、それではまだ全然足りなかった、と思う。もっとお目にかかって、問うて、答えて、お話をして、たくさんのものをいただくべきだった、と思う。

 

今、お亡くなりになっているのが、本当に悔やまれるし、辛い。それは、日高敏隆先生だって同じだ。生きている「師」に、どんどん接して、どんどん問い答え、たくさんのものを得ていきたい。そうすると、おそらくきっと自分の「月」がはっきり見えてくるのではないかと思う。「師」には長生きしてほしいな、としみじみ思う。


私が存じている桐谷先生は、いつも淡々と、飄々と、涼やかにいらした先生のように思える。私が何か喋ろうとした時には、大きな両の目でひたと見据えながら、静かに聞いて下さった。私のつまらない考えでも、あ、今、確かに桐谷先生は「聞いて下さっている」という確信を持ちながら、安心して話すことができた。

 

そして、柔らかな口調でご自身の考えを教えて下さる。しかし、私が大きく間違っているような時は、その柔らかな口調を崩さないまま、本質としては「ナタで叩き割るような」ご指摘を下さることがあった。私は、その桐谷先生のスタンスが、僭越ながら大変「学者らしい」ように思えて、大好きだった。


私が最初に、学会でお目にかかった時から、既にご高齢(おそらく70代後半でいらした)だったように思う。でも全然、バイタリティ的にも気持ちの上でも、いつも前向きに没頭されるように研究をなさっていたのではないかと思う。

 

桐谷先生がちょうどご興味のあった内容と近い研究をしている、ということで、桐谷先生が大変情熱をもって「共同研究をしないか」と、私の後輩を誘われたこともあった(私は、遠慮なく後輩に嫉妬した)。桐谷先生は、その時おそらく80歳ぐらいにはなられていらっしゃったと思うのだけれど、もう本当に、いつでも研究の事を専一に考えていらしてるのだな、とこっちにも伝わってくるような感じだった。

 

私自身は自分の研究テーマでの必要があって、複数の学会で発表したりしていたのだけれど、桐谷先生とはなぜか、行く先々の学会でお目にかかった。


桐谷先生にお目にかかった最初の学会では、私のポスター発表の最中にいきなり桐谷先生はお見えになった。少し緊張しながらも、なんとか説明をやりとげた、と思う。

 

コメントをいただけるかと思ったのだけれど、桐谷先生は、私の発表の内容には触れなかった。厚かましくも、重ねてお願いすると、ただ、淡々とした口調で(しかし少し嫌そうに)「もっと他の人に見てもらって、ちゃんとディスカッションをして、作りなさい」とだけ、おっしゃった。

 

「論ずるに値せず」だ。これは本当にこたえた……。


次の別の学会で、内容をそれなりに練り直し、口頭発表をすることにした。口頭発表はPowerPointのスライドショーを使っての発表なので、部屋の照明を落として発表する。桐谷先生は、私の発表の時にほぼ最前列で聞いて下さっていた。そのため、暗い部屋の中でも桐谷先生の表情ははっきり見えた。桐谷先生は、私の発表を聞きながら大変難しい顔をなさっていた。質疑応答の時も、特にコメントはなかった。


そして三度目の発表に挑む。今度は練りに練ってチャレンジした。(この時に「ちょっと、ごもじもじさんの女子力が見たいな~。女子力高いポスター、作って下さいよ」と言われたんだけど、それはまた別の物語)本とかも買ったな……まだ「図書館で取り寄せられる」という知恵がなかった……。

 

ポスター発表形式は、説明のため、ずっとポスターの前に立っていたので、お昼のために少し抜けた。サンドイッチを食べるためにベンチに腰掛け、発表疲れもあって少しぼんやりしていた。

 

サンドイッチをかじっていると、足早に向こうから桐谷先生が近づいてきた。私のポスターの縮小版をお持ちで、桐谷先生は私を見ると「君を探していた」と仰った。

 

「この発表内容の説明が聞きたい。詳しく聞かせてほしい」

 

桐谷先生は、私の隣にお座りになって、熱心に私の発表内表を聞いて下さった。私もまた、一生懸命ご説明申し上げたように思う。(そして、いつの間にか私のさらに横に後輩がやってきて、ちゃっかり二人のやり取りを聞いていた)ご説明申し上げている最中、大きなシンポジウムがひとつ終わったらしく、目の前をたくさんの人たちが往来していく。恥ずかしい……正直、結構恥ずかしいものはあったが、かまうもんか!とそのまま説明を続けた。

 

私の説明が済んで、桐谷先生からは少し質問があり、また、私の作成した表をとても褒めて下さった。

 

「もしよかったら、これを今度の国際学会の発表に使いたい。君の名前は必ず出すので、できれば使わせてほしい」

 

多分、これは、私ごとき木っ端大学院生としてみたら、最上級のお褒めの言葉だったのではないかと思う。

 

ただ、私は本当に馬鹿だったので、「大変申し訳ありませんが、それはできません」と断ってしまった。当時の指導教官が大変怖かった、ということもある。桐谷先生は「そうか」と大変残念そうになさりながらも、その当時、ご自身が取り組まれていた研究の内容を話して下さった。お家の側にカブトムシが飛んで来られることから、その個体数を推定しつつ、「レジームシフト」という概念についてお考えでいらした。その考えと、私の図表がちょうどたまたま合致するとのお話で、それで、国際学会のお話をお考えだったとのことだった。

 

それを伺った時は本当に、あ、これは「一粒の砂の中に世界を」だ。こんな身近な、ささやかなことから、どんどん世界を広げられるのだ、さすがに長く研究をお続けになられて、第一線に常にいらっしゃる方は違うな、としみじみ思った。


また、そういった研究の場とは別に、懇親会で桐谷先生に直接お喋りをする機会が多かったのは、大変幸運なことだった。懇親会での桐谷先生は、またちょっと違う感じで、もっとさらに気さくな感じで接して下さったように思う。私の指導教官曰く、桐谷先生は普段「腰に軍手をくくりつけて、長靴を履きながらさっそうと歩き回る」というお話で、それはイメージとして、かえって洒脱な感じにさえ思えた。たくさんたくさんお話をした。特に覚えているのは、


「一日一文、書いていくでしょう? 365日経つと、365文になっている。そうするとね、それは論文になるんだよ」


というお話で、その時はそうか、そういうものか、ぐらいの感じで伺ったのだけれど、今となってみたら、とてもとても大事なことを、私に教えて下さっていたのだな、と分かる。何であったとしても、諦めずに少しずつでも続ければ、やがて必ずそれは完成するのだ、と仰りたかったのではないだろうか。


桐谷先生からもうひとついただいた、大事な言葉がある。いつの時だったか、桐谷先生がしみじみと、私に向かって


「あんたは、面白い子だ」


という意味合いのことを仰って下さった。多分、とても褒めて下さったのではないか……とは思う。嫌なニュアンスはなかった……気はする……。ただ、私には、自分のその「面白い」の中身がよく分かっていない。日高敏隆先生が仰って下さったような「(研究が)面白い」ともまた別の意味合いがありそうな気がする。まだ自分のその「面白い」の中身は見えてきてはいないけれど、自分の「面白い」をたくさんたくさん集めたり書いたりしていきながら、探っていきたいな、と思っている。