ひたすら生態学(とその近隣)の本を推していくブログ

五文字では足りなかった……!情念で押していく所存です。みんな!ここに沼があるよ!

読書猿さん(くるぶしさん)への私淑

読書猿さん(くるぶしさん)のブログは、大学院時代から拝見している。それがために、それだけを根拠に「私淑」と言いたいわけではなく、私は読書猿さんに、「学び」の面で大きく3回助けていただいているので、このタイトルにしてみた。(※完全に自分にとってだけの話なので、読書猿さんからすると全く「ど、どういうこと!?」というお話だと思う…………)「師」、現在までのところ、ラストのお話。そして現在進行形でもあるお話。


大学院時代の話をいろいろ書いては来たのだけど、所属していた研究室の直接のボスのことをあまり書いてこなかった。研究室では、指導教官からのアカデミック・ハラスメントを筆頭とした各種ハラスメントがひどく(※セクシュアルなものに関しては、のちに所属大学が事実関係を認定)ちょっと、本当に、しんどい時期でもあった。

そういう時に、読書猿さんのブログを拝見しながら、「すごい方がいらっしゃるな」「『学問』自体、それそのものは、決して悪いものではなく、こんなにも素敵なものなんだな」と、いつもとても励まされる気持ちだった。

特に好きだったのが「図書館となら、できること」シリーズで、最初は「人文系の方々にとって、本当に図書館ってすごいんだな。うらやましいな」という思いだった(※元々、文系に対する憧れがある)。しかし、何度も読んでいくうちに「あれ?この書いておられる内容は、別に文系理系とか全然関係ない話なのではないだろうか」と思うようになった。

さいころから、図書館はとても好きで、でも、大学に入ってからかえって足が遠のいていた。私は本自体もとても好きだった。しかし、指導教官が「本なんて読んでいる暇はない。論文を読め」というスタンスの方であり、実際によく口にされてもいた。そして、理系全体ではわからないけれど、少なくとも私のいた分野では、本は論文よりも一段劣るものとされていたように思う。

ただ、私としては、「本」の形だと、その著者の考え方全体が分かる感じであること、また初めての分野などに対しては論文よりもとっつきやすい部分があること、などから、本もとても好きだった。自分のそういう部分、本に対する愛着を恥じてもいたのだけれど、どうしてもその「好き」を手放すことができなかった。読書猿さんのブログは、そこに対して、本を好きでいていいのだ、自分でいいのだ、と、優しく背中を押してくれているようで、とても嬉しく、有難かった。

そのうち、研究室を抜け出して、大学の図書館にもちょくちょく行くようにもなった。物理的に離れることも大事であったのだけれど、そういう時は「自分は、今、何を読んでもいいのだ」と思えて、ふと息がつける、息ができるような思いがあった。

自分の専門とは全然関係ない本を、ぼんやり読むこともあった。あれこれと読んでいた本のなかに、古代ギリシャのテオプラストスの書いた植物学の本があった。読んでいくうちに、まずそれが2000年以上も前に書かれた本であること、そして植物に対する深い愛とまなざしがあること、植物種が分類されて綿密に記載されていること……などなとに、門外漢ながら、とても深く感銘を受けた。

あの時期に、そんな時間を過ごすことができたのは、自分にとって本当によかったな、と思っている。読書猿さんのブログを読んでいなかったら「図書館にいく」なんて考えは、全く頭に浮かばなかった。「図書館は、いいところだよ。素敵なところだよ」と、いざなって下さったから、私は、あの辛い日々を持ちこたえることができたのではないかと思う。


ただ、いろいろ頑張りはしたのだけれど、私は結局博士の学位を得ることができなかった。しかも、持病ができてしまった。それでも日常は続くので、日々を忙しくは過ごしていた。しかし、ぼんやりとした違和感のようなものをいつも抱えていたように思う。そのうちに、何かこう、自分で少し書く場所が欲しくてTwitterを始めた。もちろん読書猿さんをフォローした。ただ、自分は生態学を途中でやめてしまったという引け目から、あまりアクティブな気持ちにはなれていなかったように思う。「私ごときが」という思いがどうしても抜けなかった。

確か昨年4月の頭に「なにか自分のやりたいことを、勇気を出して書いてみよう!」というTweetがTLに流れてきた。ふと、思い立って(それこそ勇気を出して)、「生態学を全然知らない、でもちょっと始めてみたいな、という方のための、生態学の本の紹介をしてみたい」と書いた。

しばらくして、いきなりリツイート通知が来て、びっくりした。しかも、それがなんと、読書猿さんだったので、むちゃくちゃびっくりした。バスの待ち時間に確認していたのだけれど、あまりの衝撃で、目の前に来たバスに危うく乗りそこねそうになるぐらいだった。本当にびっくりした。

さんざんびっくりしたあと、読書猿さんへの感謝の念とともに、やる気がむくむくと湧いてきた。こんな私だけど、自分の好きなことで、もしかすると少しぐらい、人の役に立てたりすることがあるのかもしれない。そんな風に思えた。

それから少しずつ、腰を入れて生態学関連の本を読み返したり、を始められるようになった。それは、なにか、自分自身を少しずつ取り戻していく作業でもあったように思う。そして、そういう気持ちを取り戻せたのは、本当に嬉しく、ありがたいことだとも思っている。読書猿さんには、ちょっとこう、私の語彙力ではどう申し上げていいのか上手くいい表せないぐらい、とてもとても感謝している。


さて、勉強を始めたのはいいけれど、なかなか時間もとれないし、効率も悪い。困ったな……と思っていたところに、まさに降臨した(※ほんと主観的には)のが、「独学大全」だった。読書猿さんご自身からのアナウンスがあったとき、今、まさにそれ!それが必要なんですよ!という思いだった。それはもう、即、予約した。

実際に自分の手元に届いた時は、事前に想定していた厚さをはるかに上回る分厚さだったため、一瞬、「私にこれが使いこなせるだろうか……」という気持ちになった。実際、書かれている55の技法のうち、現在までのところ、私が実践できているのはまだ15個だ。ただ、しかし、それでも自分の学びの大きな大きな助けになり、力になっているな、ということが実感できている。

技法が多い、ということは、ある技法が自分に向いていなくとも、他の技法を試せばいいし、組み合わせて使うこともできる(自分的には、コミットメントレターと2ミニッツ・スターターの組み合わせが、取りかかりのハードルをとても下げてくれる)なにしろ、独学大全はTwitterで毎日「これはすごい!」と流れてくるし、ブログでもとても素敵なことを書かれたりしていらっしゃる方もおられる。

「独学は孤学ではない」と読書猿さんが言われていて、それはまた少し違う意味を含んではいるのだろうけれど、それでも、「独学大全」を通じて、これだけの人が独学を志し、独学に取り組んでいる、ということが可視化されたのは、本当にすごいことだと思う。また、その中のひとりとして、やはり、他の人がこんなに頑張っている、ということがわかるのは、嬉しいことだな、とも思う。


さらに、そこから繋がれて、独学広場広報の方から「独学広場」に誘っていただけたのも、自分の学びを続けていく上で、とても大きかったと思う。独学広場で、毎日のコミットメントレターとラーニングログをつけることを習慣化していて、おかげさまで半年ぐらい続いている。

管理人の方々も優しく、とても雰囲気のよい学びの場だな、と思い、いつもお邪魔させていただいている。場を設け、維持して下さっている管理人の方々には、本当に感謝の念に堪えない。

学びの場にはわりと長くいたのだけれど、そこは基本的に「戦え。背中を見せるな。研究室・大学の誉れたれ」のような場だった。間違えることや、ましてや弱音を吐くことは、全く許されていなかった。でも、前述のようにいろいろあって、今、独学広場にいさせてもらって、日々「あーできなかったー」「これがしんどい」などと愚痴りつつ過ごしている。独学広場は、それが全然許して貰える場で、温かく見守ってもらったり、優しいアドバイスを貰えたりする場で、やっと、ここにきて、自分の学びが始まったような気がする。これから、これから、と思って、毎日を過ごしている。


さて、しかし、そもそも「師」、読書猿さんは……なんというか深すぎて、まるで人物像が掴めていない。独学大全の「私淑」の項目では、「師について情報を集め、自分の中で師の像を作り、『師ならどうするか』を考える」という主旨のことが書いてある。

読書猿さんの「アイデア大全」「問題解決大全」も読んだり使ったりしてはいる。独学大全フェアも行き、読書猿さんが読まれた本、独学大全のベースになっている本のリストも手にいれはした。しかし、ちょっとこう……師の履修範囲が広すぎて、全くと言っていいほどわからないことが多すぎる。ご著書の著者紹介欄に「正体不明」と書かれておられるのは伊達ではないなあ……と思い知らさせる。

Twitterひとつとっても、真面目な量子力学Tweet、数学のお話が流れてくるかと思うと、お茶目なリツイートが流れてくる。例えば、私の記憶が確かならば、こないだ、キャプテン翼と競馬?関係のトンデモ画像が、読書猿さんからリツイートで流れてきた、はず……。サイゼリヤ情報も読書猿さんからだったり……。そして時折、私のネタツイをリツイートして下さって、泡を吹くこともあり……。出版社の担当の方が、「読書猿さんは大変心が広い」とおっしゃっていたけれど、大きく、そこは大きくうなずき、同意させていただきたいなあと思う。

そういったわけで、現状、私には読書猿さんはもう「指」どころか、「姿」が見えていない。姿も見えない、また力も伴わないのに「私淑」はまあ……噴飯ものだとは思うのだけれど、ただ、読書猿さんはとんでもなく綺麗な「月」を見ておられて、私にもそれだけはわかるので、小さく小さく遠くともいいから、そんな「月」が見てみたいなあ、という望み、野望はある。「月はいつもそこにある」のなら、見ようと思ってあれこれやっているうちに、もしかすると、少しは見えてくることはあるかもしれない。


そして、まずは、「師」にお伺いしたいことがある。読書猿さんは、生態学の教科書として、ベゴンの「生態学」を挙げられている(独学大全でも、ブログでも)。ベゴンの生態学、むちゃくちゃ名著だと思う。大学院時代に、隣の研究室と合同で原著の輪読をしていたけど、本当に読み応えのある、しっかりしたいい本だと思う。まだ全部は読み切れていないので、独学大全で推していただいて、よし!という気持ちになった。

では他に、読書猿さんが、生態学の本で「よし」とされている、「推し本」には、どんな本があるのだろうか。とても気になっている。マシュマロのご回答で挙げられていた、「学んでみると生態学は面白い」「生き物の進化ゲーム」は読むとして、さらにどんな本があるのか、是非お伺いしてみたい。

私は、独学大全冒頭の「老生物学者との出会い」のお話がとても好きで、おそらく読書猿さんは、生物学も生態学も、ご造詣がとても深くておられるだろうなと思っている。しかも読書猿さんは、生態学も生物学もたくさんいろいろお読みになっておられるので、その「読書の森」の中から、さらに何を選ばれるのかがとても気になって仕方がない。

いずれ何らかの方法で、お邪魔でない方法で、お伺いしてみたいものだと思っていたのだけれど、読書猿さんはお忙しいから……と思っていたのと、私が、自分の、あまり人と人の間の機微がわかっていない傾向を知っているため、よしそのうちに、そのうちに……とためらっていた。

そうしたら、大全シリーズの刊行とベストセラー化で、おそらくさらにお忙しくなっておられるような状況で……。いや、でも、もうこの瞬間、このタイミングだよな……さらにさらにお忙しくなるだろうから……。とりあえず、これを書き終わったら、質問文の文面を考えて、書いて、マシュマロでお伺いしようと思っている。(でも、これ、実は方法的にもタイミング的にも最悪手だったりしないだろうか……)(いや、やらないより、やった方がいいことかもしれない)


よし、じゃあ、そんなわけで!


【コミットメントレター】
読書猿さんのマシュマロで、生態学の推し本を伺う


おれはやるぜ。おれはやるぜ。